スタジアムに、人は来た。

前号で、私たちはそれを確かめた。広島でも長崎でも、新しいスタジアムは、試合のない日にも人を集めはじめている。

けれど、その先がどこまで街につながったのかは、まだ十分に見えていない。

来た人は、街の店に寄ったのか。そこでお金を使ったのか。使ったお金は、地域に残ったのか。

長崎市長は2025年1月の記者会見で、「スタジアムシティと駅の往復で終わっている」という印象を語った。本人が「私の印象ではございますけれども」と前置きした上での言葉だ。断定ではない。だが、この一言は、多くの現場が抱えている違和感を言い当てている。

本稿では、スケールを一つ落とす。都市全体の統計ではなく、観戦に来た一人の行動に目を向ける。

人が「来る」ことと、街が「潤う」こと。この二つの間には、いくつもの見えない切れ目がある。それがどこにあるのかを、診断する。

第1章 数えられるのは、来場者数だけ

まず、正直に書いておきたい。

前々号で確認した通り、「経済効果」を測る共通の物差しは、まだ存在しない。この不在は、本稿の出発点でもある。

物差しがないまま、それでも比較的、継続して確認しやすいものの一つが、来場者数だ。

エディオンピースウイング広島は、開業から1年(2024年2月〜2025年1月)で約130万人を集めた。このうち試合観戦が約66万7,000人、それ以外の利用が約63万3,000人だったと報じられている。

長崎スタジアムシティは、開業1年で延べ485万人が来場したと発表されている。ただしこれは運営主体側による延べ人数であり、実際に訪れた人数でも、地域での消費額でもない。

開業前には、EYストラテジー・アンド・コンサルティングが約963億円という経済効果を試算していた(2024年7月時点、長崎新聞報道)。これは開業前の予測値であって、実績ではない。

数字は、確かにある。だが、その数字が何を意味しているのかは、まだ誰も測っていない。

来場者数の次に来るはずのものを、順番に並べてみる。滞在時間。周辺への回遊。地域内消費。地域への還元。

この5段階のうち、第三者が検証できる形で公開されているのは、ほとんどが最初の一段目だけだ。あとの四段は、多くの現場で、まだ測られていない。

測られていない、という事実そのものが、実は最初の切れ目かもしれない。見えないものは、改善もされないからだ。

第2章 見えなければ、選ばれない

数字が語れない部分を、構造で補いたい。

ここからは、確認された事実と、SIM編集部が今回聞いた個別の話と、編集部の考察を、分けて記す。

施設の中で、完結する

新しいスタジアムは、飲食も物販も、施設の中でひととおり揃っていることが多い。

運営側にとって、それは合理的な設計だ。人が集まる場所に、店を置く。単純な話である。

ただ、その設計は、観戦客の一日の形も変える。施設の中で飲食も買い物も完結できるほど、街へ出ることは、必ずしも取らなければならない行動ではなくなる。

観戦客の側にも事情がある。試合前後の限られた時間で、初めて訪れる街の店を探すより、目の前の施設で済ませるほうが選びやすい。

SIM編集部が今回、旧スタジアムと新スタジアムの両方で観戦した経験を持つサポーターに話を聞いたなかに、こんな回答があった。福岡在住で、長崎へアウェイ遠征しているサポーターだ。

新しいスタジアムになって、到着時間は試合開始の1〜2時間前から3〜5時間前へと早まった。現地で使う金額も上がった。滞在は「大きく長くなった」と本人は答えている。

それなのに、地域の飲食店や商店街へ行く機会は「ほぼ変わらない」。お金を使った先は、スタジアムの施設内と、その周辺施設だった。試合が終われば、旧スタジアムのときと同じように、すぐ帰路につく。

滞在は長くなった。消費も増えた。だが、増えた分は施設の中と、その周りに留まっている。

これは一人の回答であって、長崎のアウェイサポーター全体の傾向ではない。ただ、こういう一日を過ごした人が確かにいる、ということだ。

店は「ある」のに、選択肢に「ない」

では、街の側からはどう見えているのか。

SIM編集部は、長崎市内の飲食店1店舗に電話で話を聞いた。スタジアムシティから路面電車で2〜3駅ほど離れた場所にある、営業4年目の店だ。主な客層は地元の人だという。

店主の答えは、率直だった。

スタジアムシティが開業する前と後で、大きな変化は特に感じていない。試合やイベントがある日とない日の違いも、自分の店にはあまり関係がないように感じる。売上も特に変わっていない。

観光客の割合は増えたかもしれない、とは感じている。ただし、強く実感しているわけではない、とも話している。

自分の店で「サポーターの人だろう」とはっきり分かる客は、あまり見かけない。一方で、飲み屋街のあたりではサポーターらしき人を見かける、という趣旨のことも話していた。

そして、観戦客が自分の店を訪れるきっかけがあるとすれば何か、という問いに、店主はSNSを挙げた。訪れた人が近くの店を探して、という行動になると思う、と。

店は、そこにある。閉まっているわけでも、断っているわけでもない。

ただ、観戦に来た人の選択肢の中に、入っていないのかもしれない。

施策は「ある」のに、知られていない

行政の側は、手をこまねいているわけではない。

長崎市は、V・ファーレン長崎のホームゲーム開催時に、まちなか直行の無料シャトルバスを走らせている。浜町アーケードから出島(中華街)を経てスタジアムシティへ向かう路線だ。試合前はキックオフの3時間前から約20分間隔、試合後は2時間後から5〜10分間隔で運行されている。

市の公式ページは、この運行の目的を明記している。アウェイサポーターを中心とした観戦者のまちなか回遊を促し、にぎわいの創出と消費の拡大につなげること。

2026年度の予算には、県外からの観戦客が市内に2泊以上する場合の宿泊費補助や、市内を歩く動機をつくるスタンプラリーも盛り込まれている。2025年夏には、市内の商業施設5社による合同の買い回りキャンペーンも行われた。長崎市・長崎商工会議所・浜町周辺の商店街が構成員となる「浜んまちエリアマネジメント協議会」という体制も、公開資料で確認できる。

施策は、存在する。

だが、今回話を聞いた人たちの答えは、それと噛み合っていなかった。

長崎へ遠征している先ほどのサポーターは、クーポンやシャトルバス、スタンプラリーといった回遊を促す施策について「知らなかった」と答えている。広島へ遠征している別のサポーター(関西在住)も、同じく「知らなかった」と答えた。

飲食店の店主も、スタンプラリーや買い回りキャンペーンに参加した経験はないと話している。スタジアムの運営会社や行政、商店街と自分の店との連携についても、特に感じていない、と。

これは、施策が機能していないことの証明ではない。今回聞いたのは、サポーター2人と店舗1軒にすぎない。認知率のような数字を、ここから出すことはできない。

言えるのは、届いていない例が確かにある、ということだけだ。

知っていた人は、動いていた

一方で、今回の調査には、少し違うタイプの回答者がいた。

関東に住み、V・ファーレン長崎を応援している人だ。長崎はこの人にとってアウェイではない。遠くから、応援するクラブの街へ通っている。アウェイサポーターとは別の種類の来訪者、と言ったほうが正確かもしれない。

この人の一日は、先ほどのサポーターとはずいぶん違っていた。立ち寄り先は、スタジアムの施設内、その周辺、駅の周辺、飲食店、観光地、ホテルにまで及ぶ。回遊を促す施策についても「利用したことがある」と答えている。

そして、新しいスタジアムになって変わったことを、本人はこう書いている。駅が近いため駅周辺にも立ち寄るようになった、観戦チケットで割引もあるため、と。

ただし、ここで結論を急ぎたくない。

この人がよく街を歩いているのは、応援するクラブのホームだからなのか。遠方に住んでいて、そもそも長く滞在する必要があるからなのか。それとも、11回以上訪れていて、街をよく知っているからなのか。

今回の調査では、この三つを区別できない。回答者ごとに、居住地も、訪問回数も、来訪者としての立場も、同時に違っているからだ。

だから「ホームサポーターだから回遊する」とも、「ホームとアウェイでは情報の探し方が違う」とも書けない。

ここから言えるのは、遠くからスタジアムを訪れる人の中にも、異なるタイプと、異なる一日の過ごし方が存在する、ということまでだ。

もう一つの切れ目

ここまでを並べてみる。

店は存在している。しかし、観戦に来た人がその存在を知らなければ、選択肢にはならない。

割引やシャトルバスは存在している。しかし、知られていなければ、使われない。

物理的には、スタジアムと街はつながっている。長崎スタジアムシティからJR長崎駅までは徒歩約10分だ。それでも、情報としてつながっていなければ、人の流れは街まで届かないのかもしれない。

これは、診断すべき切れ目の一つとして、記録しておきたい。

ただし、「情報が足りないことが原因だ」と言い切れるだけの根拠は、今回の取材では得られていない。地形や時間や、他の要因も同時に働いている。長崎市は三方を山に囲まれたすり鉢型の地形で、坂が多い。歩くこと自体のコストが高い、という指摘もある。

原因を特定したのではない。見るべき切れ目が、一つ増えた。

第3章 動き始めている。しかし、つながったとはまだ言えない

ここで、両方を同時に書いておく必要がある。

一つは、動き始めているということ。

長崎のシャトルバスは2025年シーズンから走り、2026年度にはキックオフ3時間前からの運行へと拡充される。延泊補助も、スタンプラリーも、合同キャンペーンも、エリアマネジメント協議会も、実際に存在する。

広島でも、中央公園の広場エリアの運営にNTT都市開発や地元企業が参加するPark-PFI事業が組まれている。スタジアムの指定管理はサンフレッチェ広島、広場の運営は別の企業体という役割分担だ。

いずれも、スタジアムの来訪者を周辺やまちなかへつなげることを目的に含む取り組みであり、すでに動いている。

もう一つは、それでもまだ、つながったとは言えないということ。

長崎市自身が、中心市街地活性化基本計画(第3期)の中で、来訪者の回遊性の向上を継続的な課題として位置づけている。達成された、とは書かれていない。

先ほどの市長の所感も、その文脈にある。ただしこれは定量データに基づく結論ではないと、本人が明確に前置きしている。

さらに、担当部署であるスタジアムシティ連携推進室は、MaaSアプリ提供者のデータから、浜町アーケードにも一定数の来訪があることを確認している。回遊がまったく生まれていないわけではない。

そして、施設を運営するリージョナルクリエーション長崎の岩下英樹社長は、開業1年の時点で「まだ十分な手応えは感じていない」と語り、「具体的な経済指標の向上を見てから判断したい」と述べている(長崎新聞、2025年10月4日)。

動き始めていることも、つながったと言い切れないことも、どちらも同時に事実だ。

一方だけを取り出せば、話は簡単になる。だが簡単にした瞬間に、この問題は解けなくなる。

第4章 では、何が接続の条件になるのか

診断から、問いへ進みたい。

今回話を聞いた人たちは、立場も、住んでいる場所も、見ているものも、それぞれ違っていた。

福岡から長崎へ通うアウェイサポーターは、商店街の近くに観戦者向けの宿泊プランを持つホテルがあれば、と書いた。

関東から長崎へ通う遠方居住のホームサポーターは、チケット提示の割引が使える店の一覧が、サポーターに分かりやすいところにあるとよい、と書いた。現在もスタジアム周辺や駅の近くには割引があるが、少し離れた店にも広がってほしい、とも。

関西から広島へ通うアウェイサポーターは、試合当日のチケットを見せたら飲食代が割引になるようなサービスがあればいい、と書いた。

そして長崎市内の飲食店の店主は、観光客や観戦客を呼び込むための連携について、あったらいいと思う、と答えた。

四つの別々の観測が、少しずつ違う言葉で、同じ方向を指している。

ただしこれは、実証ではない。四人が同じことを言ったから正しい、という話ではない。母数が違いすぎるし、そもそも母集団を代表していない。

言えるのは、四つの異なる立場から、同じ問いが立ち上がってきた、ということだ。

その問いを、三つに整理しておきたい。

第一に、情報は、誰に、いつ、どの形で届いているか。試合の何日前に、どの経路で、どんな粒度の地域情報が観戦者の手元に届くのか。今回聞いた範囲では、クラブの公式サイトやSNS、地図アプリ、ホテルや観光の案内、サポーター仲間の口コミと、経路は人によってばらばらだった。

第二に、時間は、街を歩ける形になっているか。試合前に3時間あることと、その3時間で街を歩けることは、同じではない。

第三に、届いたかどうかを、誰が測っているか。長崎市の公式ページは、シャトルバスの運行目的を「まちなか回遊の促進」「消費の拡大」と明記している。だが、その乗車実績や効果を示すデータは、本稿執筆時点の公開情報からは確認できなかった。

三つ目が、おそらく最初に戻ってくる。届いたかどうかを測る仕組みがなければ、どの条件が効いたのかも、検証できないからだ。

条件を並べることはできる。だが、それが本当に条件なのかを確かめる方法を、まだ私たちは持っていない。

その手前で、すでに現場に立って、試している人たちがいる。次号では、その現場を訪ねる。

終章 つなぎ目は、誰が設計するのか

一人の観戦客は、試合前に立ち寄る店を決めていない。

一人の店主は、試合の日に売上が伸びるかどうか、確信を持てない。

この二人は、悪意も無関心も持っていない。それぞれの場所で、そのとき最も合理的な選択をしているだけだ。

ただ、二人をつなぐ「つなぎ目」には、まだ設計し直せる余地がある。

スタジアムは完成した。街も、そこにある。物理的な距離も、以前より近い。

足りていないのは、たぶん建物ではない。誰が、誰に、いつ、何を伝えるのかという設計だ。

そしてそれは、コンクリートと違って、後からでも書き換えられる。

あなたへの問い

もしあなたが次に観戦に出かけるとしたら、試合の前後に、どこで何を選ぶだろうか。

その選択肢は、どこで知ったものだろうか。

そして、知らなかったために選べなかった店や街が、そこにはなかっただろうか。