夜の九時を過ぎると、駅前の商店街は、もうほとんどの店が閉まっている。

明かりが灯っているのは、コンビニエンスストアと、自動販売機の光だけだ。

数十年前は、この時間でも、道に人の話し声があったという。今は、それを知っている人のほうが少ない。

これは、特定の一つの街の話ではない。似たような夜が、いくつもの街で、静かに積み重なっている。

スポーツの話を、いったん脇に置きたい。私たちがこれから見ていきたいのは、スポーツの中の風景ではない。スポーツの外側にある、社会そのものの風景だ。

隣に住む人の、名前を知らない

同じ建物に、何年も住んでいる。エレベーターで会えば、会釈はする。けれど、名前は知らない。仕事も、家族構成も知らない。

郵便受けの表札は、去年と半分近く変わっている。いつ、誰が引っ越していったのか、気づいた人はいない。

これは、都市部だけの話ではない。人が減っていく地域でも、祭りの案内板には、去年と同じ数人の名前が、今年も並んでいる。

ひとりで過ごす夜が、増えている

一人分の惣菜が、スーパーの棚に並ぶ。一人用の炊飯器が、家電量販店の一角を占める。

夜、マンションの窓を見上げると、明かりのついた部屋の多くに、テレビの青い光だけが揺れている。

コンビニのレジで交わす一言が、その日、誰かと話した唯一の言葉になることがある。

同じ教室にいても、同じ場所にはいない

教室は、同じ黒板を向いている。それでも、休み時間に机の上で開いている画面の中の景色は、一人ひとり違う。

祖父母が当たり前のように口にする言葉に、孫が「それ、何のこと?」と聞き返す夕食の席がある。

同じ空間にいることと、同じ場所にいることは、同じではない。

競い合う場所ほど、外側が薄くなる

合同説明会の会場は、色とりどりのブースで埋め尽くされている。呼び込みの声も、配られるパンフレットの厚みも、年々増していく。

同じビルの、別のフロアでは、業界の申し合わせを話し合う会議が開かれている。並べられた椅子の数は、去年から変わっていない。それでも、埋まりきることは、もうない。

華やかなフロアの熱気は、静かなフロアまでは、届かない。

行政も、地域も、一人では支えきれない

朝、まだ雪が残る道を、いつもの数人だけが、黙々と除雪している。

町内会の掲示板に貼られた「担当者募集」の紙は、何年も、貼り替えられた形跡がない。

行政の窓口に電話をかけると、以前より、呼び出し音が長く続くようになった。

誰かが怠けているわけではない。支える手の数が、静かに足りなくなっているだけだ。

分断は、弱さではないのかもしれない

ここまで見てきた風景に、共通する何かがある。

知らない隣人も、一人分の惣菜も、埋まらない椅子も、貼り替えられない掲示板も——誰かの弱さや、怠慢が原因ではない。人と人をつなぐための仕組みが、暮らしの変わる速さに、追いついていないだけかもしれない。

だとすれば、まだ何も終わっていない。仕組みが足りていないだけだとしたら、それは、これから整えられる余地がある、ということでもある。

あなたへの問い

あなたの街や、あなたの職場で、隣にいる人の名前を、いくつ言えるだろうか。